ボクシングを通して、心と身体が変わる

image_box気がついたらボクシングを正式に習い始めて、1年という月日が過ぎた。夢中で放つ拳、足腰、下半身のバネと回旋の力を拳に伝える。拳は当たる瞬間握るだけ。

いいストレート、フックが決まる。その次はもっといいストレート、フックを打とうと思えば思うほど、つい力んで力がはいる。何度も繰り返し、意識をして力を抜く練習をする。最高の力とエネルギーが拳に伝わるように打つためだ。

強く良いパンチを打とうとするほど力が入る。当てようとしないと当たらないのだが、当てようとしすぎると当たらない。力むと軌道がずれ、スピードも落ちるからである。

強く打ちたいけど、力を入れてはいけない。足腰のエネルギーを拳に伝え、拳はインパクトの瞬間に握るだけ、何の力も加えない。下半身の力に合わせて、上半身は狙いを定めて拳を握るだけ、途中でルートを変えてはならない。身体が流れるからだ。そこを狙い撃ちされる。相手を自分のパンチがあたるポジションに追い込んで、振れば当たるところに追い詰めて、パンチを放つだけ。外されたら次のパンチで当てれば良い。

imagesパンチを当てるためには、ここぞと思ったときこそ、力を抜かなければならない。良いパンチが当たった時と同じように、パンチを放つことが大切だ。力を抜いて力まずにコンパクトに打つ。
しかし良いパンチが当たると、その次はもう少し強いパンチを当てようと思うのが普通である。すると、そこで力が又入ってしまう。
失敗の連続の中から、成功は生まれる。

練習を通して、ひとつでも成功を多く重ねることが、心技体の修得に繋がる。
最高のチャンスに、最大のピンチに、冷静に対処して自分の力を最高に発揮する。どんな状況下の中でも、自分の力を最高に発揮する。
ここぞと言う場面で、丁度良いタイミングで、的確な強さでパンチを放つ。

imagezenこの練習こそ、禅の心に繋がる、と私は思っている。どんな状況でも自分の力を最大限発揮して、喜びややり甲斐にかえる。これが、私の目標である。

私はボクシングを通して、日々禅の心を修得しようとしている。
練習は夜21時半に仕事が終わってからだ。週3回、火、水、木曜日、
22時30分から練習が始まり、1時30分に練習を終える。

その中で、90分から120分、限界に挑戦していく。
リングに上がるとき、強いディタミネーション(決意)と自信が必要だ。

だから練習で出来る様になった事には、自信と誇りを持てとコーチに言われる。

自信と決意が恐怖を抑え、良い試合をするための唯一のエネルギーとなると私も思う。

ボクシングに、こんなに夢中になれるとは夢にも思っていなかった。

imageki尊敬するコーチとの出会いがなければボクシングをしようとは思わなかった。私にとって大きな存在であり、頼りにしている。コーチのボクシングの情熱が私にも伝わってくる、

そして練習の中でいつも私を褒めてくれる。
私の中にいっぱいあった恐怖や不安を自信に変えてくれる。
身体で覚えるように、出来るまで付き合ってくれる。心から感謝している。

リングに上がるためにはディタミネーションが必要だと言われる。
その決意がだんだん私にも付いてくる。

戦うことは恐怖であり不安である。試合の事を考えると憂鬱であった。しかしその気持ちが少しずつ変わってきた。
恐怖は無いと言えば嘘になるが試合で挑戦してみたくなった。

今更輝かしい戦績など要らない。ただ精一杯力を出し切り良い試合をしたい。

小さい頃からの課題と夢であった、それは、恐怖の克服、戦う勇気、私はこの自己との戦いに59歳になった今、挑戦する。

そしてボクシングの練習と試合を通して、禅の心と本当の勇気、人を思いやる心を学びたい。

平成27年10月23日(金)
原田浩一